BLUE ENCOUNT(ブルーエンカウント)

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伴奏数

1

播放量

1743

BLUE ENCOUNT(ブルー・エンカウント)は、日本の4人組ロックバンドである。2014年9月10日Ki/oon Musicよりメジャーデビュー。略称はブルエン。 成员:田邊 駿一(たなべ しゅんいち、1987年6月25日 - )鹿児島県生まれ、熊本県育ち。ボーカル及びギター及び全ての曲の作詞作曲を担当。熊本市立井芹中学校卒業、熊本高等専門学校中退。トレードマークの黒縁眼鏡はレンズが入っておらず、コンタクトレンズを使用している。ライブのMCでは自虐ネタや茶番劇で笑いを取ることも多いが、涙ながらに熱い思いを語るMCが話題となり、『めざましテレビ』や『スッキリ!!』に取り上げられた。小学校ではサッカー部、中学ではバドミントン部で幽霊部員だったがキャプテンだった。細美武士を尊敬しており、細美が作った楽曲に出会ったことで、BLUE ENCOUNTが結成された。上京後は江口と共にTSUTAYAでアルバイトをしていたことがある。埼玉県のライブハウス、西川口ハーツでもアルバイト経験がある。メインギターは、島村楽器のオリジナルブランドHISTORY製のカスタムメイドギターSGタイプ。江口 雄也(えぐち ゆうや、1987年11月7日 - )鹿児島県生まれ、熊本県育ち。ギター担当、リーダー。熊本高等専門学校卒業。中学、高校とテニス部で、県で3位になったこともある。長らく更新していなかったブログを、メジャーデビューを機に再開し、以降ほぼ毎日更新している。ワンマンライブ前にはブログに注意事項を投稿しており、ライブマナー問題について発言することも多い。ライブの開場中や転換時のBGM選曲を担当している。ファッションブランドFRAPBOISのアイテムを愛用しており、iPhoneケースや、ステージ衣装のスニーカーも同ブランドのものである。ギターアンプはBadcatのLynx 50を使用。生産量が非常に少なく、日本には数台しかないと言われており、Nothing's Carved In Stoneの生形真一が以前使用していたものが江口の手元に巡って来た可能性が高いと、共演時に本人から言われた。メインギターはGibson ES-335。辻村 勇太(つじむら ゆうた、1988年6月20日 - )神奈川県横浜市出身。ベース担当。実年齢は他のメンバーの1つ下だが、5年制の高専を卒業したメンバーより1年先に専門学校に入学していたため、初対面の時は高村を年下だと勘違いし、先輩風を吹かせていた。以前は他のバンドのサポートベーシストも務めており、田邊は「辻村はそれだけの技術と実力がある」と評価している。ライブのMCでは、田邊にツッコミを入れたり、ファンを煽るなどしているが、実は天然であり、テレビやラジオ番組出演時はそのキャラクターを発揮している。中学ではバスケットボール部で、メンバーの中でも運動神経はかなり良い方である。ライブハウス横浜ベイジャングルでアルバイトをしていたことがある。アルコール摂取及び、緊張や照れなどの精神的高揚により、顔が赤くなる体質である。俳優の小柳友、E-girlsのAmiとは中学の同級生であり、現在も親交がある。使用機材は、FENDER Jazz Bass、MESA Boogie Bass Strategy Eight:88 など。高村 佳秀(たかむら よしひで、1987年6月27日 - )熊本県出身。ドラムス担当。愛称はよっちゃん。熊本高等専門学校卒業。母親がピアノの先生だったこともあり、幼少期からピアノを習い、バンドを始める前はジャズドラムをやっていた。アニメ好きを公言しており、ニッポン放送『ミュ〜コミ+プラス』にゲスト出演した際には、音楽の話を全くせずに好きな声優について熱く語ったことがある。ワンマンライブでは「物販隊長高村」として、グッズ紹介を担当している。Perfumeのファンである。中学ではテニス部だったが、運動神経はあまり良い方ではない。バンド公式ツイキャス配信時、お笑いコンビピスタチオの小澤慎一朗に似ていると話題になり、視聴者からネタを振られるも、自宅にテレビがない為、元ネタを知らなかった。Gretsch Drumsのエンドーサーである。 经历:2003年熊本高等専門学校で田邊、江口、高村が出会う。田邊が仮入部しようと思ったテニス部が休みで、隣の軽音楽部の部室に入ると、同じくテニス部志望だった高村がいた。1学年下のベーシストを含む4人でBLUE ENCOUNTを結成。バンド名は、色の入っているバンド名は売れるというジンクスと、田邊がレンタルショップで見かけた香港映画のタイトル「ブルーエンカウンター」が由来となっている。初ライブではELLEGARDENのジターバグをコピーした。地元熊本を中心に活動し、ヤマハ音楽振興会とニッポン放送が主催するTEENS' MUSIC FESTIVAL 2006では熊本代表として九州予選に出場するも、全国大会へは進めず。この時の九州代表に選ばれたSKIN-HEADz(現在のircle)、全国大会優勝のSUPER BEAVERとは後にイベントで共演し、現在も親交が深い。進学のために当時のベーシストが脱退し、江口、高村の高専卒業後、3人で上京、東京スクールオブミュージック専門学校渋谷に入学。専門学校の一年先輩だった辻村が加入し、現在のメンバーになる。専門学校卒業後、ファーストミニアルバム「the beginning of the beginning」をリリースするが、思うように結果が出ず、当時のことをメンバーは「暗黒時代」と呼んでいる。その後ircle、SUPER BEAVERとスプリットツアーを回り、両バンドからの助言が暗黒時代脱出の大きなきっかけとなったと、折に触れ語っている。セカンドミニアルバム収録曲「HALO」がYouTube再生回数を伸ばし、徐々にライブの動員も増え、2013年1月渋谷O-Crestでのワンマンライブはソールドアウト。以降、会場の規模を拡大しながらも、全てのワンマンライブでソールドアウトを記録している。この頃から大型フェスにも出演するようになり、サマーソニックにも初出演を果たす。11月にはMY FIRST STORY、AIR SWELL、SWANKY DANKと共にスプリットアルバムBONEDSをリリースし、翌2014年1月には4バンドによるBONEDS TOURを開催、各地で人気を不動のものとした。また、当時のインタビューでは「2年後に日本武道館ライブをする」と公言していた。2014年9月10日、キューンミュージックよりメジャーデビュー。COUNTDOWN JAPAN 15/16では、12月31日に出演キャンセルとなったNICO Touches the Wallsに代わり、EARTH STAGEのトリを務めた。これにより、本来の出演枠である12月30日と、二日連続での出演となった。第94回全国高校サッカー選手権大会の応援歌を担当、2016年1月11日、埼玉スタジアムの決勝戦ではライブパフォーマンスも行った。2016年1月17日、Zepp Tokyoでのワンマンライブにて、同年10月9日に日本武道館にてワンマンライブを開催することを発表した。